机の上で何かごそごそと書いていた菜織がおもむろに正樹たちの方へ向き直った。
 テスト用紙の裏か何かだろう、藁半紙をひらひら振ってみせる。
 その藁半紙には、大きな字で「十徳堂」と書かれていた。








愛せない 争いさえ波に飲まれ 委ねた歌はあなたへと沈む
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episode.03:「LORELEY」






「‥‥‥何だそれ?」
「私たちよ。まあ、会社名とかチーム名みたいなもんね」
「そういうのって必要なの?」
「要る要らないで言ったら要らないわよ。もちろん」
「あのな‥‥‥」
「まあ、何て言ったらいいのかな‥‥‥私たち、っていうカタマリに名前が欲しくなったのよ。本当はここに真奈美もいるってのが当然ベストだし、そういう方向でこれから何とかしていくつもりだけど‥‥‥せめて、今ここにいる私たちだけでも、何か一緒のことをやってるんだよっていう証拠っていうか、何でもいいからそういうのが欲しくなって‥‥‥っていうかさ」
 菜織は急に項垂れてしまう。
「強気そうにしてるけど私だって不安なの‥‥‥あんなんなっちゃった真奈美が元に戻せるかどうかなんて、全っ然‥‥‥自信なんてないよ‥‥‥」
 夜、菜織の部屋。‥‥‥再び沈黙。





 真奈美はすっかり、元の真奈美に戻っていた。あのジンジャとかいう建物の前で急に瞳に顕れた赤く禍々しい炎を今は感じない。チャムナは安堵の溜め息をつき‥‥‥安堵した自分に舌打ちを漏らした。あのままマナミをそこに置いておけば、その隙にあのジンジャとかいう建物の中に入り込めたかも知れなかった‥‥‥ベッドで眠っているマナミの寝顔を、すぐ横に腰掛けたチャムナは恨めしそうに一瞥し、諦めたように溜め息をついて視線を机に戻す。
 夜、真奈美の部屋。


 窓から差し込む月明かりは机の上に淡く光を降ろす。
 ひとつだけ、そこに輝いているもの‥‥‥チャムナがずっと見つめているのは、澄み切った月光を湛える青い石を銀のフレームで抱く、真奈美のペンダント。
 これはレナンの力を持つ魔法のペンダントだとマナミの父は言った。‥‥‥ただし、これは力だけだ。レナンの魂は日本のとある神社に封印されている。両方が揃わなければ、レナンはこの世に戻れない。神社の場所はもうわかっている。そのペンダントを持っていけば、レナンの力と魂が自然に引き合う筈だ。しかし精霊はこれを持つことができない。だから真奈美に持たせておく。
 どこまで本当なのだろうか?
 手を伸ばす。指先がそのペンダントに触れる寸前に、チャムナの指先を何かが走り抜けた。熱いような冷たいような、鋭くて奇妙な感覚に、思わずチャムナは手を引いてしまう。それはレナンが自分を拒んでいるからだとチャムナは思う。本当は‥‥‥全然違う理由のような気もする。わからない。くしゃくしゃと髪をかき回して、チャムナは真奈美のすぐ横に寝転がる。
 ペンダントの青はどこまでも透き通って綺麗だったが、レナンや真奈美の父の心まで見透かすことはできなかった。また諦めるように溜め息をついて、チャムナも目を閉じた。
 土曜の夜が静かに更けていく。





 「れなん」とは何か。チャムナは誰か。十徳神社はチャムナや真奈美の何を隠しているのか。
「要するにワケわかんないことだらけなんだけどね‥‥‥」
 どうして真奈美はああなのか。
 夜、菜織の部屋。‥‥‥書き出しながら菜織は溜め息をつく。


「結局、『れなん』が何なのか、がポイントだと思うのよね」
「でも菜織、真奈美ちゃんは『れなん』のことなんて何も言ってなかっただろ? それを気にしてたのはあのチャムナって方で、真奈美ちゃんは‥‥‥じゃあ、真奈美ちゃんは何しに来たんだ?」


『久しぶりだね、菜織ちゃん、正樹くん‥‥‥あたし、帰って来たよ‥‥‥』


「挨拶しに来たってのも違う気がするわね」
「お兄ちゃん‥‥‥あの真奈美ちゃん、何だか恐かったよ‥‥‥目が赤いし‥‥‥」
「でも、真奈美ちゃん自身は『れなん』には別こだわってないみたいだった。そうすると」
「そうすると?」
「‥‥‥道案内、くらいかなあ」
「何よそれ? そんなの、あのチャムナってのだって子供じゃないんだから、それくらいだったら説明すればわかるでしょ? わざわざついて来てそれだけってことはないんじゃない?」
「ああ、そうだろうな」
「あの‥‥‥お兄ちゃん、真奈美ちゃんの目ってもともと赤かったっけ?」
「? 赤いって‥‥‥あれ、そう言われれば今日は赤かったような気もしてきたなあ‥‥‥菜織、写真ないか? 3人一緒の奴でいいから昔の写真」
「ん? 写真? ああ、あるある。ちょっと待っててね‥‥‥えっとこの辺に‥‥‥あ、あった」
「アルバム?」
「うん。撮ったの親父だから大した写真じゃないと思うけど」
「充分だよ。で‥‥‥真奈美ちゃんは‥‥‥」


 小学校に入学したくらいの頃だろうか。3人仲よく賽銭箱に腰掛けた写真があった。
 ‥‥‥瞳の赤い子は、そこには写っていない。


「ったくバチ当たりな写真撮ってるわね親父も」
「んなこと言ったって菜織、お前だって写ってんじゃん」
「お兄ちゃんも菜織ちゃんもそれちょっと違う‥‥‥ほら、真奈美ちゃんの目、別に赤くないよ?」
「そうみたいだな。ってことは、だ」
「何かいるってこと? お兄ちゃんの‥‥‥あの時、みたいに‥‥‥」
「まあ多分そういうことよね。じゃ、これはそういうことで一旦置き。次に‥‥‥次っていうか、もともともの『れなん』はどうだったんだっけ?」
「‥‥‥あちゃー」





 翌朝、真奈美の部屋。
 目覚し時計が鳴る前からチャムナは目を覚ましていた。だが、やがて鳴り出す目覚し時計をチャムナは放っておく‥‥‥この音の出し方も止め方もチャムナは知らないから、実際は止めろと言われたところで何もできはしないのだが。
「ほら、起きろマナミ。起きる時間の音なのだろう?」
「ひえっ!?」
 チャムナに頬を抓られて、驚いた真奈美は飛び起きた。やかましく鳴り響くベルの音を慌てて止め、けだるそうに欠伸しながら伸びをひとつ。
「ふあ‥‥‥チャムナさんか‥‥‥おはよー」
「まったく。気楽なものだな」
「へ? 誰が?」
「ああ何でもない。とにかくマナミ、今日こそは」
「‥‥‥やっぱり、行くの?」
 またこれか。‥‥‥昨日のあの勢いは一体何だったのだ?
 縋るような弱々しい真奈美の目つきにチャムナは困惑する。まるで、別人だ。
「今日こそはレナンを取り戻す」





 その朝、菜織の部屋。
「菜織、お客さんよー? 菜織ー? 寝てるんじゃないでしょうね?」
 言いながら菜織の姉が襖を開けると、菜織と正樹と乃絵美が床に散乱していた。無論、寝ている。
「年頃の女の子が男連れ込んで床の上で大の字? まったく行儀の悪い。ほら起きなさい菜織!」
 そこはかとなく表現が危険である。発言者には気にしている様子もないが。
「‥‥‥んー?」
「お客さんよ。‥‥‥もういいから入っちゃってくれる? 真奈美ちゃん」
「真奈美ぃっ!?」
 一瞬前まで寝惚けたような半開きだった菜織の瞼が急に見開かれる。菜織がまさに文字通りに跳ね起きるのと、おずおずと部屋の中に真奈美が入ってきたのがほぼ同時だった。
「あ、あの‥‥‥朝早くからごめん‥‥‥」
「気にしないで真奈美ちゃん、こんな遅くまで寝坊してる方が悪いんだから。そちらの方も、むさ苦しいところだけどゆっくりしてらして。今お茶持ってくるわね」
「あ、ああ‥‥‥」
 ことによっては一戦交えるくらいのつもりでやってきた筈なのに、チャムナは悠長な姉の物腰にすっかり毒気を抜かれてしまっていた。目の前に敵がいる、そもそも自分をここまで連れてきたその女だってレナンをここに閉じ込めた連中の手先だ‥‥‥知ってはいても、こうなると手も口も出ない。
「正樹! 乃絵美も! いつまで寝てんのほら! 真奈美が来たわよ真奈美が!」
 正樹を蹴る菜織の足に容赦はなかった。
 あんなに思いっきり蹴っても‥‥‥正樹くんは、きっと菜織ちゃんを嫌いになったりしないんだろう。気がつけば、そんなどうでもいいことにさえ嫉妬している自分がいた。不意に、忘れていた何かを思い出しそうになる。赤い、赤い‥‥‥そうだ、これは昨日の‥‥‥目の前にちらつきだした炎のような赤が急激に視界を埋めていく。いけない。真奈美は頭を振りながらその場にしゃがみこんだ。


 真奈美が胸の中で爆発しそうだった炎をやっとの思いで鎮めた頃には、正樹も乃絵美も起きていた。正樹はまだ脇腹をさすっている。菜織の蹴りはよほど痛かったのだろう。
「久しぶりね真奈美‥‥‥って言いたいところだけど、その前にちょっと聞きたいことがあるのよ。あのさ、『れなん』って何? あんたたち、それがここにあるって誰から聞いたの?」
「え‥‥‥レナンって、チャムナさんの彼氏で‥‥‥精霊さんだけど‥‥‥ここにいるんでしょ?」
「いないわよそんなの。だから聞いてるんじゃない。大体、あたしたちがその子から彼氏取り上げたら、あたしたちはどういう得をするの?」
「それは‥‥‥」
「いい加減なことを言うな! ここにいる筈だっ!」
「あんたもっ! ‥‥‥チャムナって言ったっけ? あんたもさ、確かめてもいないくせに勝手なことばっかり言わないでくれる? さっきレナンは精霊さんだって真奈美が言ったけど、それが本当ならね、ミャンマーの精霊を祭ってる日本の神社なんて私聞いたことないわよ? それでもここにいるっていうなら後で家捜しでも何でもさせてあげるけど、もし出てこなかったらチャムナ、あんたウチの神社に何て言い訳するつもりなの?」
 立ち上がりかけたチャムナが不貞腐れたように腰を下ろす。





 結局それは押し問答に毛が生えたようなものでしかなかったが、押し問答にしかならないだけに、菜織たちが得た情報の理不尽さは根が深い。やはり、誰がどう見ても何の変哲もないこの神社にそんなわけのわからない曰くつきのシロモノなんてあるわけがないのだ。
「ああもう。じゃあ家の中見せたげるわよ。ついてきて」
 数時間後、菜織の部屋。菜織に続いてその場の全員が腰を上げる。


 そのレナンがどんな姿でここにいるのか。聞いてみると、チャムナたちはそんなことさえも知らなかったことがわかる。ショックでくらくらしそうになる頭を右手で押さえながら菜織は溜め息をひとつついた。‥‥‥あれから何度溜め息をついただろう。まったく、私らしくもない。
「そんなんで本当に探せると思ってるわけ?」
「いればわかる」
 視線を逸らすチャムナの返答は負け惜しみのように聞こえなくもない。あれから1時間ほども十徳神社の中をうろうろしているが、そもそもそれを探しに来たチャムナたちがこの調子なのだから、無論目ぼしい手がかりなど見つかる筈もなかった。
 真奈美と肩を並べて歩きながら、乃絵美はちらちらと真奈美の顔を盗み見ている。‥‥‥何度見返してみても今日の真奈美の瞳は赤くはなかった。どう見てもそれは、一般的な日本人と変わらない黒い瞳である。
「お兄ちゃん」
 小声で呼びかけながら前を歩く正樹の袖を引っ張る。
「どうした?」
「気づいてる? 赤くないよ‥‥‥真奈美ちゃんの目」
「ああ、それか。気づいてるよ。菜織もな」
「うん‥‥‥それだけ、だけど」
「ま、大丈夫だろ。何とかなるって」
 正樹はそう言って話を切り上げる。
 その時乃絵美は敢えて何も問い返しはしなかった、というだけで‥‥‥何がどんな風に「何とかなる」から「大丈夫」なのか、正樹の中でも本当は何ひとつ具体的でないことくらい、乃絵美にはお見通しだった。何も問い返さなかったのは、問い返したら答えに困る正樹の気持ちを乃絵美もよく知っていたからだ。結局のところ、乃絵美にだって何もわかってはいなかったのだ。それでも。
 それでも‥‥‥本当は自分がいちばん不安でしょうがないくせに、根拠なんか全然ないくせに、それでも「大丈夫」だと言ってくれるお兄ちゃんのことは、乃絵美は嫌いではなかった。





「待って‥‥‥ここ‥‥‥この中って‥‥‥」
 真奈美が足を止める。十徳神社のいちばん奥、土蔵の前。
「ああ、土蔵? でもこの中って確か、私たちが産まれるずっと前から誰も入ってない筈だけど」
「何か‥‥‥あるよ‥‥‥火之‥‥‥」
「ひの? レナンじゃないの? ‥‥‥チャムナ、どうなの? いればわかるんじゃないの?」
「あのペンダントには私は触れない。マナミがあると言っているなら、多分この中だと思う」
「いればわかるんじゃないのかよ!」
「600年も離れ離れなんだっ! 600年も離れていれば‥‥‥知らないことの‥‥‥ひとつ‥‥‥くらい‥‥‥」
 チャムナが躍起になって正樹に喰ってかかる、と誰もが思ったが、意外にもチャムナはその場に泣き崩れてしまった。
「お兄ちゃんダメっ!」
 言葉だけで正樹を制した乃絵美の視線は、しかし先程から真奈美の胸元だけを見つめている。赤い石が嵌め込まれたペンダント‥‥‥あの石、最初から赤かったっけ? 確か、
「‥‥‥っ!!」
 何かを考えかけた乃絵美の中へ、その赤い石から唐突に流れ込んでくる感情。
 抑えられない。熱い。‥‥‥憎いっ!
「うあああああああああっ」
 乃絵美に聞こえたその苦しげな声は、誰が叫んだ声だったのだろう?
 ‥‥‥ぱきん。小さな澄んだ音をたてて、赤い石のまわりで青い雫が弾けた、ように乃絵美には見えた。真奈美のまわりで炎が渦巻き始める。その炎よりも、赤い石の中に一瞬だけ見えた誰かの影が乃絵美の目に焼きついて離れない。


「マナミ! ‥‥‥またかっ!」
 チャムナが舌打ちする。しかし今度は慌てない。土蔵の扉を睨む。‥‥‥菜織が立ちはだかる。
「何するつもり?」
「開ける」
「鍵持ってないわよ」
「壊せばいい」
「冗談じゃないわよ」
「壊せばいいの?」
「冗談じゃないって‥‥‥真奈美?」
 炎を纏った真奈美が右手を軽く振った。ぶすぶすと煙を上げながら黒く焦げ始めた重そうな木の扉は、一瞬の間を置いて、砕けた。


 あれからずっと、慟哭が耳を支配し続けている。
 炎を弄ぶ真奈美の背中の向こうで乃絵美が膝をついていた。
「乃絵美っ! 大丈夫かっ」
 慌てて駆け寄ろうとする正樹の手を真奈美が掴む。火傷しそうなほど熱い手が、乃絵美の側へ行くことを許さない。
 目が合った。正樹の目に映った真奈美は、獲物を前にした肉食の獣のような、あの笑みを湛えて正樹を見つめていた。





 砕けた扉をくぐり、チャムナが土蔵に踏み込む。菜織が後を追う。
 暗い土蔵の中には‥‥‥何も、なかった。



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