「んー。どうしよっかなー」
呟きながら、隣席の彼女は俺の方をちらっと見た、らしい。
向き直ると彼女は、宛がわれた事務机の引き出しをごそごそ整理しているようだ。
「どしたの? ‥‥‥って」
向き直って、だからそれが視界に入った瞬間から、うわ凄いと思ってはいたんだけど、
「そんなにいっぱい隠してたの?」
「別に、隠してるんじゃないよ」
そんなことを言っているうちにも、
「買って、ちょっと食べて、あと仕舞って、別の買って、ちょっと食べて、ってやってたらさ」
彼女の前にどんどん積み上がっていくお菓子の山。
「買った時に全部食べちゃえばいいのに」
「お腹いっぱいになっちゃうじゃない、そんなにいっぱい食べたら」
「そんなにいっぱい買って来なきゃいいんじゃ?」
「い‥‥‥いいのっ」
最後に彼女はそう言って口を尖らせる。
「そんな摘み食いみたいにしてて、賞味期限とか大丈夫なの?」
山の中からのど飴の袋をひとつ摘み上げる。よく見ると、期限切れは今年の四月くらいだ。
「これは大丈夫か」
「どうかな? 結構いっぱい」
釣られたように、今度はあれこれパッケージを裏返し始め、
「あ、これはダメで、これもダメで、ええとこれも?」
「‥‥‥そんなにか」
たちまち標高を下げるお菓子の山。
「乾物は大丈夫なんじゃない? お菓子なんてそんな簡単に悪くなんないでしょ」
「ん。そうだけど、こんなに持って移動できないし」
移動。
‥‥‥そういえば彼女は、来週から常駐先に作業場が移るような話を聞いていた。
「そっか。じゃ移動しないとだね」
「まあでも、この辺はほら」
言いながら、捨てるつもりで避けたらしいお菓子の丘のいちばん下から、何かチョコレート菓子の箱を引っ張り出す。
「これなんか、前のプロジェクトで『あっち』に常駐する前の」
およそ一年半前にどこかから転職してきた彼女は、そうして迎え入れられた途端、聞いた話では『デスマーチの原寸大見本』のようだったらしいプロジェクトに配属になり、それから今までのおよそ一年半、ほとんどこのオフィスに姿を見せなかった。
つまり、この一年半で彼女が常駐した先は‥‥‥よほどの地獄を見てきたのか、『あっち』以上の具体的な呼称を意図して避けている節のある彼女が言うところの『あっち』、その一箇所しかなかったのであり、
「買ったの一年半前かよ‥‥‥」
面倒だから確かめもしなかったけど、どうせまあ、もうとっくに賞味期限は切れているだろう。
「そういえば、それほとんど『あっち』の時に買ったんだ」
そして、一年半留守にしていた机の引き出しが、昨日や今日でいきなりこんなお菓子の巣窟に変貌する筈もないのであって、
「うん。持ってくるの大変だったよ」
「その時に整理してから持ってくれば」
「整理したんだってば! これでも!」
推測というかほとんど事実の確認レベルだが、ともかくも、そういうことであったらしい。
「ね、どれか要る? っていうか、もらって?」
賞味期限が切れてから比較的日が浅い方の丘が、ずずっとこっちに押し出された。
「賞味期限が切れてないのがいいなあ。あとあんまり甘くないの」
「切れてないのはない」
「即答‥‥‥」
「大丈夫だよ乾物だから」
「それ俺の台詞」
「いいから。はい」
はい、って言われても。
‥‥‥がさがさと丘をかき分けると、中にカロリーメイトが幾つか埋もれていた。
「あ、これいいな」
ポテトが二箱、チョコレートが二箱。
ちなみに、チョコレートの片方は封が切られていて、ふたつ入っている筈の小袋が片方消えている。
「こうやって摘み食いするんだ」
「大丈夫でしょ? 袋が切っちゃってあったらアレかも知れないけど。はい」
有無を言わさない勢いで、纏めて四箱のカロリーメイト僕の机上にばんと置かれた。
箱の底に書かれた情報によれば、ポテトは去年の九月、チョコレートは十月に期限が切れていた。
「うわ‥‥‥」
食べさしのチョコレートの袋を切り、片方を齧ってみる。‥‥まあ、特にどこがおかしいということもない。乾物だし問題はなかろう。
「もらっといて何だけどさ」
「ん?」
「カロリーメイトのチョコ味ってどうかと思うんだよね」
もそもそと頬張りながら、行儀悪く呟く。
「え、何で?」
「フルーツ派」
「信じらんない」
‥‥‥二月十二日、金曜日。
どうもフルーツ派とチョコレート派の間には越えられない壁があるらしい、ということを、俺はまた身をもって知ったのだった。
▽
ところで。
「あれ?」
その辺に転がっていたコンビニのビニール袋の中に放り込んだ状態で受け取り、そのまま鞄に詰めて持ち帰ったカロリーメイトの箱が、帰宅して覗き込んだら五つあった。
「四つじゃなかったんだっけ?」
内訳は、ポテトが二箱、チョコレートが三箱。
「‥‥‥よりによってチョコが増えてるのか」
ついでに賞味期限を確認する。
箱の底に書かれた情報によれば、ポテトは去年の九月。
チョコレートは、去年の十月がふたつと、そして、
「あれ?」
ひとつだけ、妙に真新しい箱に、未来の日付が刻まれていて‥‥‥それから、今まで気づかなかったんだけど。
「何だこりゃ」
表の面、肩のところには、リボンを模したような小さなシールが貼ってあり、
「って、うわ」
マジックか何かの殴り書きで、箱の裏面には大きく『バーカ』と書いてあった。
多分、二月の十四日が今年は日曜だったから、ということも理由にはあったのだと思うし、もしかしたら‥‥‥知ったのはつい昨日だけど、その十二日を最後に彼女がこの会社を去ってしまうから、ということもあったのかも知れない。
いずれにせよ、『ほとんど顔も合わせなかったけど同僚』以外の繋がりは俺と彼女の間にはなかった。
お互い、携帯の番号を知ってるわけでも、プライベートのメールアドレスを知ってるわけでもない。
今更真意を問い質せるわけでもない。
「どう考えたらいいんだろうな、これ」
‥‥‥二月十四日、日曜日。
黄色い箱にでかでかと書かれた『バーカ』を一瞥して、それから俺は、賞味期限が切れてる方のチョコレートを口に放り込んだ。
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