「あの‥‥‥あのね、和裕」
聞きづらそうに、諒子は口を開いた。
「ん?」
いい加減に頷いた和裕が、
「明日、ほら、バレンタインじゃない。それでね」
「い、要らねえってそんなの」
『バレンタイン』という単語を耳にした途端、慌ててそんなことを力説し始める。
「ちょっと! あ、あっあたしのことなんて言ってないでしょっ!」
全力で否定にかかる諒子の顔が何故か真っ赤になっているのは、恐らく、駅からの道に遍く橙色の光を落とす夕陽のせいばかりではない。
「そうじゃなくて、あの、誰とは言えないんだけど、あたしの友達に」
明後日の方に目を向けたまま、言い訳になっていない言い訳を口の中でぶつぶつ呟くように。
「チョコじゃなくてお煎餅とかじゃダメかって、和裕に聞いてって頼まれてて。その‥‥‥その子は、自分が甘いのダメだから、って」
「‥‥‥吉野?」
吉野紗英の甘いもの嫌いはクラスでは有名だ。
故に、友達想いな諒子の考える『正しい態度』として、いきなり感づかれた場合にはさらっと軽く否定してみせることにしよう、と頭の中では考えてあった。
そのためのイメージトレーニングなども随分やったつもりでいたのだが、
「うわ‥‥‥その、ち、違」
現実はかくのごとし。
頭で考えただけの作戦などで押し通せるような余裕なぞ、経験の乏しい諒子のどこを叩いても出てこないのである。
「いや。‥‥‥ごめん。でも、吉野のことじゃなくても、もらえないって言ってくれよ。悪いんだけど」
突然声のトーンを落として、嫌に神妙な顔で和裕は告げた。
「え、なんで? だって、和裕が本当に本命チョコもらえるのなんて初めてじゃないの? つ‥‥‥きあっちゃえばいいのに」
「うっ、うるせえ。諒子には関係ないだろ!」
「関係なくない!」
今度は怒鳴り合い。何とも忙しいことである。
「何よまったく、素直じゃないんだから。そんなことだから毎年毎年あたしのくらいしかチョコもらえないんだわっ」
「そんなことねえよ」
「ほー。じゃ去年は幾つだったんだっけ?」
産まれた病院から現在の高校まで、人生のほとんどで顔を突き合わせてきた幼馴染みにかかれば、そういうことは言われなくても察しがついてしまうくせに。
「ひとつ、だけど」
いいんだよ。俺は諒子のだけで。
「え?」
どんどんか細くなっていく和裕の言葉の、聞き取れなかった部分に察しがつかないのは、実に不思議なことであった。
「何でもねえよ。大体、どうせ諒子だって、俺に義理チョコ渡す以外、誰にもやらないんだろ?」
「そんなことないわよ、あたしは」
ひとつでないことは本当だった。
ひとつ以外は全部義理でも、一応、配ってはいるのだから。
「どーだか」
「何よ。いちいちムカつくわねっ」
そうしていがみ合いながら、いつものようにふたりは歩いて帰宅する。
‥‥‥いがみ合っている割には距離が離れないのも、傍から見ていると『息の合ったいいコンビ』にしか見えないのも、まあ、不思議なことではあった。
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