冥土さんのお仕事。[26650420]  


  

「あのさ」
 溜め息混じりに少年が言う。
 手も足も縄でぐるぐる巻きのまま転がされ、有り体に言って芋虫同然の境遇の割に、声にまったく緊張感がない。
「無駄口を叩くな」
「無駄口っていうか、心配してるんだけど、一応」
「五月蝿えよ」
 ごすっ。軍用ブーツの膨れた爪先が蹴り込まれる。少年は保身のために一応痛がってはみせるものの、実は巻かれた縄のおかげで大して痛くもない。それも今までに何度か遭遇したシチュエーションだ。
「猿轡もしとくんだったか」
 冷たい銃口をこめかみに押し当てたまま、これ見よがしにアサルトライフルをかちゃりと鳴らす。
 木々に囲まれてぽつりと建っている山間の一軒家に、揃いも揃って灰色を基調とした斑模様の、つまり何故だか都市迷彩の施された軍服に身を固めて乱入してきたそいつらの頭領は、これで一応、凄みを利かせているつもりらしい。
 本当にそう思うなら、言ってる間に猿轡でも何でも噛ませりゃいいのに‥‥‥少年は思うが、本当にそんなものを噛まされたら気の毒なので、それは言わないことにする。
 だって、ちゃんと警告しなきゃ気の毒じゃないか。
 こいつらが。
 ここでこんなことしたら‥‥‥敵に回すのはさつきさんなのに。



 玄関。
 廊下。
 階段。
 少年が転がされた部屋へ続く廊下。
 五人ばかりで押しかけてきたそいつらのうち四人は、屋内の各所を持ち場と定めて警戒に当たっていた。後は人質を連れ出すためのヘリが到着するまで、確保した現状を維持するのみ。
 経過時間は突入からちょうど三分。
 だからそれもあと二分ばかりのこと。
 今度のコレは楽な仕事だったと、既に事を成した後のような感想を四人ともが抱き、



 ‥‥‥四度。
 床を震わせた、くぐもったような僅かな打撃音に、床に耳を当てた姿勢を強いられた少年は気づいていた。
「おじさんたち、五人で来た?」
「五月蝿えってんだよ」
「多分今、外で四人死んでるよ?」
「黙れ」
 銃口がぎりぎりと押し込まれる。口に出しては何も答えないが、動揺しているのはわかる。
「おじさんだけでも逃げた方がいいよ。多分もう間に合わないけど」
「黙れと言っていくごっ」



 正面に見える扉は閉じられたままだ。
 脂汗が吹き出す。そうしていれば、久しく忘れていた恐怖を一緒に魂の奥底から洗い流せる、とでも信じているかのように。
 背にした窓が開いた様子も、外からぶら下がってきた誰かの影もない。
 何なんだこいつは。
 無論、そんなことでは、凝らせた闇にエプロンを着せたような巫山戯た姿のその恐怖が眼前から消えてしまったりもしない。
 どこから出てきた。
 抵抗の意思がないことを示すつもりか、即座に手放したアサルトライフルは空中にあるうちに蹴飛ばされ、やけに遠くの床にがしゃがしゃと転がる。
 何故。
 震える歯が小刻みに金槌をくすぐる。
 何故俺は、口にトンカチなんか突っ込まれたこんな間抜けな姿で、どこにもいなかった筈のこんな小娘に睨まれているんだ!



 もしかしたら、自問する間があっただけ、その男に猶予された時間は長かったのかも知れない。大体外の四人など、楽な仕事を完遂するどころか、自らを襲う恐怖の存在を知覚する暇さえ与えられなかったのだから。
 足元の少年は短く息を吐いて目を瞑る。
 何かを呟くかたちに小娘の唇が動く。音を伴わないその言葉が仮に男に聞こえていたとしても、多分それは、自問に与えられる解、などではない。
 長袖に長いスカートの漆黒のワンピース。襟元と袖口にあしらったレースに合わせた白のエプロンとヘッドドレス。白のソックスに黒革のローファー。‥‥‥誰がどう勘違いしようにもおよそメイド以外の何かには見えないであろう出で立ちのその少女は、碧眼に湛えた冷たい月光を些かも翳らせることなく、口腔に突き入れた金槌の柄に添えた、白魚のような右の手指を振り抜いた。
 胸が悪くなりそうな鈍い音と共に最後の乱入者の頚椎を砕き、貫き通し、さらにはそれで留まることなく、金槌はコンクリートの壁に突き刺さる。
 残る四人と同じように、だらりと四肢をぶら提げた哀れな骸を、まるで見世物か何かのようにそこに吊るして。



 手筈では、庭に梯子を落として、突入部隊を引き上げることになっていた。
 刻限になっても誰も庭に出ていないが、進捗が遅れているという報告も特になかったし‥‥‥大体、目指す家の屋根にはメイドが立っている、などという目印のことも、ましてやそのメイドがヘリを相手に戦うつもりであることなども、ヘリの方にはまったく連絡されていなかった。
 何の変哲もないワンピースの両袖から袖口よりも鎚の方が大きいように見える金槌を当たり前のように振り出し、屋根の上のメイドは、無警戒に庭先ギリギリまで接近してきたヘリに向かって投げつける。片方はローターを掠め、もう片方はキャノピーの脇を掠める。続けてもう二本。今度は片方がキャノピーに罅を入れ、もう片方は機体に突き刺さった。
 最早興味も用もないとばかりに、慌てて反転を始めたヘリにメイドは背を向ける。
 ややあって、背中の向こうで四散したヘリの爆炎が逆光になり、メイドの姿は影に沈んだ。



「ご無事ですか」
「さつきさん‥‥‥普通、助けてすぐに聞かない、それ? 放っといて屋根行っちゃうんだもん」
「も、申し訳ありません」
 慌ててぺこりと頭を下げ、それから、さつきさんと呼ばれたメイドは少年に掛けられた縄を解き始める。
 ‥‥‥今の今までまったく音を立てず、返り血の染みひとつすら纏うことなしに五人の突入部隊を屠り、ヘリさえ撃墜してみせたメイドの首元で、首輪についた硝子の鈴が、初めて、小さな音をたてた。

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