「ご苦労様」[26650412]  


  

 私は一度買ったものを長く使う。
 部屋にあるテレビはもう十年選手だし、それは冷蔵庫も、電子レンジも同じ。洗濯機は二層式だったために大学卒業時に廃棄したけれど。



 同じように、洗濯ハンガーも十年使ったのですが……




 ぱきん、とやけに軽い音がして。
「あ」
 特別乱暴に扱っているつもりがなくても、こんな風に、何かの弾みで簡単に壊れてしまう水色の洗濯ハンガー。
 そうしてどこかが壊れる度に、ガムテープで無理矢理固定して、ビニールの紐で補強して、ついでに落ちてしまった洗濯ばさみもビニールの紐で吊り直して‥‥‥散々応急処置を施しまくったそのハンガーは今、まるで「満身創痍」の見本のような痛々しい姿で、私の両手の上に横たわっている。
 そういえば、水色のプラスチックの表面がかさかさと浅くひび割れ始めているのも、随分前から気にはなっていた。吊った洗濯物に引っ掛かるわけではないからそのまま使っていたけど。
 人間でいえば、それは年を経て皺が寄るようなことなのかも知れない。そんなことをふと思った。
 でもこんなハンガー十年も使う人いないよ、と口の中でだけ呟いて、それから私は、小さく溜め息を吐く。
 そうまでしてそのハンガーを使い続けないといけない理由が何かあったわけじゃない。だけど。



 洗濯に掛かる時間なんていつも同じだから、ハンガーを持って洗濯機の前まで行けばそのまま干しに掛かれる頃合い、って奴が身体に染み付いているようで。
 満身創痍のハンガーを見つめて私が途方に暮れていると、いいタイミングで洗濯機がぴーぴー鳴り始める。
 だからといってこのハンガーはすぐには使えない。というか、もう直しても使えないような気さえする。さらにガムテープでミイラ男みたいにぐるぐる巻きにしたら、それでいつまで使い続けられるというのだろう?
 頭の中ではとっくに結論が出ているのに、それでもしばらくは逡巡して‥‥‥古いハンガーを床に置き、代わりに財布と鍵を持って、私は部屋を出た。



 新しい、淡い緑色の洗濯ハンガーは、新しいだけあって丈夫だった。
 実はスーパーから小走りに走って帰る間に買い物袋ごと地面に落としてしまったのだが、それでも壊れていなかった。大した高さでもなかったけれど、古い方をあんな風に落としたらバラバラになってしまうだろう。
 干し終えて部屋に戻った私の目は、所在なげに床に置かれた青い洗濯ハンガーを視界に捉える。
 新しいハンガーは買ってきた。
 もう、これを直して、騙し騙し使うような苦労はしなくていい。
 ‥‥‥振り返ってみると、そうやって騙し騙し使っていた時間のほうが長かったような気がしてくる。もしかしたらこういう洗濯ハンガーというものは、十年どころか、製品としてのライフサイクルは五年もないようなものなのかも知れない。
「もう、いいよね」
 言い訳めいた言葉を唇から押し出して。
「いいんだけど」
 ひとりきりの部屋で、それでも誰にもわからないように、言い訳に言い訳を重ねながら。
 私は隣室の道具箱からガムテープを持ち出した。
 びっと端を引いて長い切れ端を作る。
 切れ端の片側の隅だけをフローリングの床に貼り付けて、私もそこに腰を降ろす。
 空いた両手で青いハンガーをそっと持ち上げる。



 そして、私の手をそっと抑えるように、か細い、小さな手が差し出される、のを私は見る。



 左の眼は頭に巻かれた包帯に覆われて見えない。
 特に厳重に包帯がぐるぐる巻かれた右腕を首から吊っている。
 他にも、無数の生傷を隠すように、お腹やふとももや、体中至るところに包帯を巻いた上から、ところどころに継ぎの当たった水色のシャツを羽織っただけの少女が‥‥‥添木の当てられた脛を器用に曲げて、ちょうどハンガーが置いてあった床にぺたんと座ったまま、私の顔を見上げていた。
 まるで「満身創痍」の見本のような痛々しい姿で。



「君は」
 問いかけとも独り言ともつかない私の声に言葉で答えることをせず、ただ少女は、僅かに首を横に振る。
「直、すな?」
 こくり。小さく頷いて、少女は左手の人差し指で部屋の隅を指す。
 ごみばこ。
 その瞳に涙のようなものが滲む。
「捨てる?」
 もういちど頷いて、少女は左手を振ってみせる。
 ‥‥‥ばいばい。
 隠されたままの左眼を覆う包帯が、瞳のかたちに滲む。
「だけど」
 泣きながら、少女は笑った。
 いちばんの目標にしていた何かを成し遂げてしまった人のような、晴れやかな、でもどこか寂しい笑顔で。




 いつもなら朝のうちに集積所に出すだけの不燃ごみが、回収されて、走り去る車の背中が見えなくなるまで。
 その日の朝だけは、私はじっと外に立って、古い、青い洗濯ハンガーを見送り続けた。
 それが視界から消えてしまいそうになった頃、ようやく私は、回収車に向かって小さく手を振る。
 人差し指に引っ掛けたままのささくれたビニール紐と、その先に吊り下げられた‥‥‥何となく捨てきれなくてひとつだけ外しておいた、白くひび割れた洗濯ばさみが揺れる。
「ご苦労様」
 洗濯ばさみをそっとポケットに仕舞い込んで、私は晴れ渡った空を仰ぎ見た。
 今日も絶好の洗濯日和になりそうだ。

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