「それじゃ、始めますか」
「はい。始めましょう」
差し出された慶司の右手を、美汐の両手がそっと握って、離す。
「プロミネンス」
声を合図に‥‥‥水着に着替え、膝まで海水に浸したふたりの数メートル先で、青一色の景色が歪んだ。
凄まじい高温故か、赤色を通り越して白く光を放つふたつの火球は、その周囲に陽炎を揺らめかせ、水蒸気を巻き上げつつ、海面から一定の高さに静止している。
できるだけ小さな火球を、できるだけ長く維持。
『プロミネンス』制御のトレーニングメニューとしては、それは基礎中の基礎にあたるものである、という。
「‥‥‥実はこれでも大分頑張ってるつもりなんだが」
目を凝らしてよく見ると、左側、慶司の前にある火球は卓球のボール程度の大きさで、美汐のそれがパチンコ玉くらいに纏まっているのと比べたら随分大きい。
「特に意識して小さくしなくても、最初からあんなサイズなんだもんな。流石『プロミネンス』の持ち主」
慶司としても、もっと火球を小さくしようとはしているのだが、今以上に縮めると、形状を維持できなくなった火球が潰れてしまう恐れがあった。
「ですが、これでもわたし、随分長い時間を掛けて、こんなことばかりをずーっと練習してきたんです。そもそも炎をボールの形にすることができません、っていうところから、菜緒さんの力を借りて、ほんの少しずつ」
何やら悔しそうな顔で、美汐は溜め息を吐く。
「この間初めて『プロミネンス』を使ったような慶司さんとの間に‥‥‥こう言っては何ですけど、今はもう、たったこれだけしか差がない、というのは」
「それは第一人者と二番手以降の差なんじゃ」
「本当にそうでしょうか」
不機嫌っぽく口先を尖らせる。
「『ヘリオス』の時だって、『ヘリオス』とはどういうものなのか、むしろわたしの方が慶司さんから教わっていったような感じが」
「それはまあ、そうだったかも知れないが」
『ヘリオス』の在り様に、美汐よりも先に慶司が思い至ったのは‥‥‥恐らく、『プロミネンス』も『ヘリオス』も自分のメティスでないからだ、と慶司は思う。
「他人が考えるからわかることっていうのもあるし」
「ええ。それで、わたしも改めて考えたんです。わたしのメティスとは一体何なのか、ということを」
そこで突然、美汐はにっと笑った。
「えい」
掛け声と同時に‥‥‥何故か、慶司の火球がじわじわと膨れ始める。
「あ。やっぱり」
「え‥‥‥な、何だ? どうなってるんだ? っていや今はそれよりも、取り敢えず縮めて」
見る間にバスケットボールくらいの大きさになったそれを、慶司は必死で元に戻そうと頑張っていて、
「で、止める、っと」
「あああ‥‥‥」
急に美汐が干渉を止めたせいなのか、結果として過剰になった慶司の収縮コントロールに圧し潰された火球は、ごくあっさりと、陽炎に融け消えてしまった。
「『ヘリオス』の炎は、偏在する意識のひとつひとつが別個に発生させたものでしたが、でも同時に、『ヘリオス』の炎はすべて、ひとつの『ヘリオス』のものでした‥‥‥セカンドを使わなければ意識を偏在させられないわたしには試すことができなかっただけで」
能力者がふたりいるから『プロミネンス』がふたつあるのではなく、ひとつだけの『プロミネンス』をふたりで使っているのだとすれば、当然、干渉も可能だろう。
「そういうことか。うん、次の楽しみが増えた」
自分の火球のことだけ考えていればよい訓練だった筈だが、今後は直接攻撃が勝敗の鍵を握るかも知れない。
「さて慶司さん。約束、憶えてますよね?」
照れ照れで真っ赤な顔の美汐が悪戯っぽく宣告した。
「次の週末は、負けた方がデートに誘うんですよ?」
こんな嬉しい罰ゲームを忌避する理由もない。
「ああ、負けは負けだしな。期待しててくれ」
花が咲くように笑う美汐を見つめながら、早くも慶司は、週末のプランに想いを巡らせ始める。
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