「うっわあああい夏だィヤッホォウっ!」
歓声はあっという間に波打ち際へすっ飛んでいき、直後、ざぱーんと派手な飛沫が上がる音がした。
「あ、おいルンルン、準備運動とかは」
今頃そんな声を掛けても、早くも水中にいるルンルンに聞こえていないのは明白だ。
とはいえまあ、そんなに酷いことにもならないだろう。
何しろ、つい何秒か前に奇声を発しながら海に飛び込んで行ったかの女性こそが、海洋国家レンスタンツァの王家に生を受け、女だてらに麾下の艦隊を率いて悪逆非道の海賊共と日毎夜毎に抗争を繰り広げてきた正義の味方、『嵐の姫』その人であるという。
海のことには新などより余程詳しい筈だし、ペース配分だって充分に心得ている筈だ。
つまり、ルンルンはアレでいいのだろう。
多分。
「きゅっ、きゅっ、きゅーいきゅい」
やれやれ、と新が苦笑する脇では、シャチ吉が何やらラジオ体操らしき運動をせっせとこなしている。
多分それがシャチ吉のスタイルなのだろう。飼い主とは大違いの、よくできたペットであった。
「きゅーいきゅーいきゅーいきゅーい」
「ごー、ろっく、ひっち、はっち」
ルンルン程には海に慣れていない新は、取り敢えず、シャチ吉のラジオ体操に合流することにする。
「きゅっ、きゅっ、きゅっ、きゅっ」
「いっち、にー、さん、し」
新もひとりでいる時は適当に済ませる方で、のどかや静によくそのことを咎められていたものだが、
「きゅい! きゅー! きゅー! きゅい!」
「ごーぉ! ろっく! しっち! はっち!」
すぐ側にちゃんとやっている人(?)がいると、準備運動も自然と盛り上がるものなのか、
「‥‥‥何もそんなに必死で準備運動しなくても」
海から上がってきたルンルンがジト目で突っ込みを入れるくらいには、白熱した名勝負の様相を呈していた。
「お。ルンルンもやるか?」
「やーりーまーせーんー。‥‥‥っていうか、なんか新くん、私じゃなくてシャチ吉とデートに来てるみたい」
それは、激務に次ぐ激務の日々に突然ぽっかり穴が空いたような、真夏のとある一日のことであった。
『明日は休む絶対休む! そんで朝から新くんを海に連れてく! 誰の異論も認めない!』
『まあ、そうですか。では僭越ながらお弁当でも』
『認めないッ!』
『あ。これは申し訳ありません、出過ぎたことを』
『ご‥‥‥ごめんすずっち、お弁当欲しいです‥‥‥』
『はいはい。朝までには準備しておきますね』
ルンルンの多忙ぶりを他の姫たちも心得ていたからか、それとも、ばたばたと手足を振って子供のように暴れるルンルンに対して思うところがあったせいかは不分明だが、ともかくも、水着と着替えとバスケットを抱えて、翌朝ふたりはビーチへと向かったのだった。
書類と御用聞きに散々忙殺されてきルンルンにしてみれば、ようやく訪れたデートのチャンスだ。百年の辛苦も、この一日のためと思えばこそ耐えられたのに。
「大事な一日の初っ端でいきなりシャチ吉にヤキモチ妬かされるって何!? そんなコントみたいなシナリオにどこのダイスケがOK出すっていうのよ! 私と! 新くんの! 素敵なアバンチュールを! 返せえええッ!!」
しかも嫉妬の相手がよりにもよって自分のペットでは、いくら何でも怒りのやり場がなさすぎた。
「きゅいーっ! きゅーっ! きゅーっ!」
シャチ吉の頬を摘んで引っ張り回すルンルンの姿は、さながら阿修羅のようであった、と新は後に語る。
「まあまあルンルン。それ以上やるとシャチ吉が」
頃合いを見計らって、新はルンルンの肩を抱いた。
「くすん‥‥‥新くん‥‥‥」
「今日はまだ始まったばっかりだろ。準備運動も済んだし、一緒に泳ごうぜ」
「‥‥‥ん。ごめんね、取り乱しちゃって」
左手を握る新の両手に、右の掌も重ねて‥‥‥ようやく笑顔を取り戻したルンルンと連れ立って、
「さ、参りましょう、お姫様」
今度はゆっくりと、ふたりは波打ち際へ歩を進める。
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