「さて。いい加減、会見の場に向かわねばな」
止めに来たのか野次馬なのか判然としない者まで含めれば数十名にも及ぼうかという取り巻き連中をまるで意に介さず、ごく無造作に、少女は城門から外へ踏み出そうとするが、
「何度申し上げればおわかりいただけるのですか。陛下御自ら出向かれる必要などありますまい」
「陛下はこの国の女王。彼らも臣下なれば、この城に呼びつければ済むことです」
その『取り巻き連中』の最前列が、先程から彼女の道を塞ぐように跪いている鎧の一団だ。
跪くことを彼らがやめれば、例えば彼女の背丈など、彼らの半分を少し上回るくらいのものでしかないだろう。だが、有り体に言って彼ら自身よりも弱く幼い彼女に対し、それでも実力を行使することなく‥‥‥あくまで頭を垂れたまま、鎧の一団はなおも食い下がる。
「何度も何度も言ったように、それでは会見の場を持つ意味がないであろう。あと何度、私の口から同じことを言わせれば、そなたらは満足するのだ?」
「無論、何度申されましょうとも諦めませぬ」
「あのなあ‥‥‥」
何かぶつぶつ呟きながら、彼女はちょうど目の前にある男の首元を両手で探った。
「な、何をなさいます陛下」
「うるさい。じっとしておれ」
やがて、喉元の留め金が外され、引っ張り上げられた兜は男の頭蓋を手放し、
「この兜、視野が狭すぎるのではないのか? ほら、何も見えんぞ」
その代わりにするにはあまりに小さな、少女の顔をすっぽりと隠した。
「騎士団の者は皆、今ここで兜を取れ。狭い仮面の溝越しでなく、この街の有り様を直接その目で見よ。後ろの者もだ」
がしゃりと音がして、目の前の男に兜が手渡された。
同時に他の騎士たちも、あるいは兜を脱ぎ、あるいは仮面を跳ね上げて、
「そう、しかと見るがいい。時代は変わったのだ」
彼女がそうしていたように、眼下の光景に改めて息を呑む。
「お供いたします、陛下。刻限も迫っておりますし」
「そなたか‥‥‥うむ。よろしく頼む」
進み出た軽装の女剣士と言葉を交わして、それから彼女は、ようやく城門の外へと踏み出した。
わざわざ自分の脚で歩きながら、城門から麓までの長い長い街並みを、改めて少女は眺め回す。
山の切り立った斜面に絡まる蔦のように、馬車が通れる程度の道路がひとつ。その蔦から枝先を伸ばすように延々と階段を連ね、踊り場ごとに家屋敷を並べ、頂上には冠のように王城を戴く、不思議なかたちの街だ。
「これが『不思議だ』などとは、思ってみたこともなかった」
溜め息混じりに、ぽつりと感想を口にする。
彼女にしてみれば当たり前の感想だ。
未だかつて、『「上に向かって増築を繰り返す」以外の方法で規模を拡大することが可能な国土』などというものが、彼女の庭の中に存在した例はなかったのだ。
「だが、今となっては、この街の有り様はやはり不思議だな」
「はい」
確かに、元からこの街が『ここ』にあったのであれば、違う有り様がある筈だった。
「下層や上層の街並みがこのように成り立っていることにも、その時なりの必然、正しさはあると思います。しかし、先程陛下も仰いましたが‥‥‥たったこれだけの間に、こうも劇的に世界が変わってしまうとは」
「まったくだ。私が王になった途端にこれとは」
執政公を排して登極し。
共に執政公を倒したルキウス卿によって、一時は自分が排され。
そうこうしているうちに‥‥‥空中都市は浮力の源泉たる天使を喪い、新たに得た天使をも喪って、結局、地に堕ちた。
「一体この後はどんなことになってしまうのだろう。想像するだけで‥‥‥ふふっ、笑いが止まらぬ」
本当におかしそうに彼女は笑う。
「これ以上の変化など、あるのでしょうか」
「まあ環境的にはないかも知れん。治世の上ではいろいろと変わるであろうがな」
「変わるでしょうか」
「なんだフィオネ。上から見ていて気づかなかったか?」
「‥‥‥申し訳ありません」
「そうか。まあよい、私も思っているだけで、まだ誰にも言って聞かせたことのない考えだしな」
城門と下層の中間あたりを歩いている。
ふたりが目指している場所、下層と牢獄を隔てる唯一の関所までは、まだかなりの距離がある。
「この都市でいちばん低い場所には何がある?」
小さく見える関所を‥‥‥恐らくはその門のさらに向こう側にある場所を、彼女が指差す。
「牢獄です」
「牢獄と下層、上層。その位置関係は今も変わっておらん」
「仰る通りかと」
「では、この都市が空に浮かんでいた時、牢獄が『牢獄』たり得たのは何故か?」
「それは、牢獄が‥‥‥この都市の最果てだったからです」
『この都市の最果て』とは、即ち『この世の最果て』だった。
その外側にはそもそも地面がなかったのだから当たり前だ。
「うむ。そうだな、言わば牢獄は、ノーヴァス・アイテルにぶら提げられた鳥籠のようなものだった、と私は考えていた」
何日か前までは確かにそうだった。
しかもその鳥籠の生殺与奪は、上層に住まう者たちの意のままだった。
彼女自身が最初から知っていたわけではないが、彼女の側からであれば、その鳥籠を丸ごと落として棄てることすら可能であったのだ。
「ならば、ここまでの話を踏まえて、もう一度下を見てみよう。何か気づくことはないか?」
関所はまだ遠いが、先程よりはやや大きく見える。
ここからではよくわからないが、その向こう側、関所そのものに隠れるように、牢獄の地面がある筈で。
さらに向こうには。
「牢獄の外側は、手つかずの草原‥‥‥あ!」
そこで突然、女剣士は何かに驚いたような顔を彼女に向ける。
「鳥籠! 鳥籠です! そうだ、これでは最早」
「伝わったようだな」
にっと唇を釣り上げて彼女は笑った。
嬉しそうにも見えたし‥‥‥同時にそれは、皮肉な笑みのようでもあった。
「頭の固い騎士共は『先方を王城に呼びつけよ』などと言っておったが、これはいかにも大局を見誤った、古臭い物言いと断ぜざるを得ぬ」
空中都市が空中にあった頃は、関所の外側‥‥‥牢獄は確かに、ノーヴァス・アイテルにぶら提げられた、小さな鳥籠のようなもの、であったかも知れない。
「ええ。救世主殿とジーク殿が結託して、あちら側から関所の門を閉ざしてしまえば」
「そう、せっかく都市ごと無事に地上に降り、地震や崩落の恐怖から解放されたというのに‥‥‥ここで出方を間違えれば、我らは新しい大地の恩恵にしばらく与ることができないやも知れぬ」
だが今や、関所の内側、ノーヴァス・アイテルの中枢こそが、手つかずの、見渡す限りの大地にぶら提げられた、小さな小さな鳥籠なのだ。
「だがまあ‥‥‥事が事であったとはいえ、私は彼らに降伏した王だからな。事実上この国を制した救世主殿を擁する彼らが『名ばかりの王と会見の場を持つ義理はない』と強弁すれば、それすらも呑むしかないかも知れんところだったのだ。会見の機会があるだけ有難い、そう考えて臨むべきだろう」
「ですが、この会見はそもそも彼らの発案と聞き及びます。思惑が何もないとは私とて思いませんが、そう酷いことにもならないのでは」
「だといいのだがな」
くくっ。含み笑いが零れる。
「なあフィオネ。例えば、鞭打ちの刑に処された国王を、それでも国王と仰いでくれる国民はいるものだろうか」
「鞭‥‥‥え、陛下、それは一体」
「私が直接差配したことではないが、とはいえ今は私が王だ。ならば、今の今まで虐げられてきた彼らに対して、第一に責任をとるべきは私であろう。無論私とて死にたくはないし、昔のことなど論っても始まらないのも確かだが、状況がこれでは『王の首を寄越せ』くらいは言われても仕方がない‥‥‥ふふ、鞭打ちくらいで赦してくれるといいのだが」
物騒なことを言いながら、しかし含み笑いは止まらない。
「陛下‥‥‥」
「殺されるに決まっているとでも言いたげな顔をしておるな。言うまでもないが首なぞ渡しはせんよ。私にも自虐の趣味はないし、また幸い、この件を交渉事として成立させるに足るカードはこちらにもあるわけだしな」
「カード、ですか?」
「そうだ。例えば先程、関所のこちらが鳥籠の中であることにフィオネは驚いておったが、しかし我らはその鳥籠に別の扉を作ることもできよう」
「‥‥‥ああ、なるほど」
それはそうだ。
外の世界とは、牢獄の周囲だけにあるものではない。
「そのようにして、今また互いを食い合うことも、互いを無きものとして銘々勝手に進んでゆくことも、まあ、できぬではない‥‥‥だがな、何よりもまず、我らは手を取り合うべきだ。そのためになると思えばこそ、ふふっ、この身の危険を顧みず、私がこうして出向いておるのだからな」
笑いながら、彼女は少し足を速める。
「さあ、急ぐぞフィオネ」
彼女の声が聞こえでもしたかのように、
「救世主殿が手ずから出迎えに立っておられるところを見ると、我らは少し道草を食い過ぎたのかも知れん」
「はっ」
まだ遠い、鳥籠の扉の前に立った女性たちが、ふたりに向かって手を振ったように見えた。
|