春はあけぼの。  


  

 その日、玄関口から一歩外に出て、最初にやったことはといえば、
「ん‥‥‥くっ‥‥‥」
 朝の青空に向けて思い切り両手を伸ばし、爪先立ちで反り返って、大きく大きく伸びをすることだった。
「‥‥‥ふー」
 一息ついて、再び空を仰ぎ見る。
 見ているだけで胸のすくような‥‥‥『彼女』の流儀で表現するならば『あたしたちの未来を示すような』、見事な快晴の日曜日。
 今日という日が素晴らしく楽しい一日になることが、早くも約束されているような気さえして、
「いやいや」
 だがそこで、緩みがちになる頬をちょっと引き締めた。
 いろんな意味で『彼女』であるのは間違いないが、にもかかわらず、学外ではまだ片手の指で足りるくらいしか会ったことのない彼女は、学生であること以外に身分も仕事も持たない『彼氏』の自分と違い、若くして複数の役割に身を置く多忙の人でもある。まず休日というもの自体、彼女にとっては希少なものであるに違いない。
 それに、これから彼女がすることは、彼女にとっては多分初めてのことだろう。そこで彼女をエスコートする役割の彼氏がずっとだらしない顔ばかりしているのは、お互いにとってあまりよいことではない筈だった。
 彼氏としても一応、多少は格好よくありたいのだし。
「さて」
 念のため左右を見回して、人の気配がないのを確認してから‥‥‥最初から何事もないかのように澄まし顔を取り繕って、幸村は駅へ向かう道を辿り始める。




 『彼女』と待ち合わせた鈴音ヶ丘駅は、既にそれなりに賑わっている。今は午前中だからまだ余裕があるが、これから時間が経つにつれて、箱舟公園へ向かう人の数は増えていくだろう。
 それは、時節柄を考えれば自然な成り行きといえた。
 箱舟公園でないとはいえ、幸村たちが最終的に向かう先でも、客足は似たような推移を辿る筈だ。
「って、あれ、今日は場所どうするって言ったっけ?」
 改札のすぐ外、人混みからは少し離れた駅舎の壁に寄り掛かって、何かを確かめるように、小さな声で呟く。
 と、
「三峰兄が先行して場所を押さえる手筈になっています。伝えていませんでしたか?」
 手帳のページを繰る微かな音と共に、すぐ脇で、聞き慣れた声が答えを返す。
「そうなのか。でも本当に大丈夫なのか、そんな大事な役割が真だけで」
「大丈夫でしょう。美奈都からは既に、兄貴は現場に向かった、との連絡が‥‥‥ま、それは裏方の話です。幸村くんは余計な心配をせず、トアのエスコートの方に集中してください」
 言われて幸村は、そうさせてもらおう、と答えようとした筈だったが、
「そうさせてってなんですみれ!?」
 結果、言葉の後半は予定と随分違ったものになった。
「なんで、と言われましても」
 別に幸村はすみれと待ち合わせをしたのではない。
 しかし今、当たり前のようにそこにいるのは、白と見紛うような淡い桜色のワンピースに鍔の広い帽子を合わせた代官山すみれであり、
「私もこれから仁乃や美奈都と合流して、アルバトロスで準備に入ります。という予定だとすれば、この時分に駅にいるのは自然なことではないでしょうか?」
 可憐な出で立ちにはやや不釣り合いな、『してやったり』とでも言いたげな笑みを浮かべつつ、ごく流暢にそんなことを答えて寄越す。
 ‥‥‥鈴音ヶ丘駅で待ち合わせをしようと決めたのは、学園近くの物件に入居したという彼女にとっての最寄り駅が鈴音ヶ丘駅だからだ。
 言われてみれば、それ以外のことはよく考えずに約束を交わしたが、そういえばその鈴音ヶ丘自体、ほとんど全部が代官山家の庭のようなものだ。すみれの家の庭ですみれに会うのは別に不思議なことではない。
 その上。
「ちょっと待て、アルバトロスで準備?」
「今日のシチュエーションでアルバトロスより準備に向いている場所、幸村くんはご存知ですか?」
「いや、心当たりはないが」
「ではそういうことです。静穂さんは下拵えを始めていますし、そろそろ仁乃たちもここへ来ますよ」
 すみれだけでなく、待ち合わせの現場に仁乃や美奈都が居合わせてしまう可能性すらあるという。
「場所取りに行く奴の行き先はこの駅じゃないし、集合が三時予定なのに、それ以外の面子までこんな早くから動いているとは思わなかったんだ」
「そんなこと言って、幸村くんだってこんな早くから待ち合わせなんかしているじゃありませんか」
 すみれはおかしそうに笑う。
「幸村くんたちが内緒で早めに合流しようと企むのは、まあ、予想というより、ある種の既成事実に属する出来事ではありますが‥‥‥それにしても、場所といい時間といい、『内緒』の行いとしては色々迂闊ですよ?」
 ぐうの音も出ない、とはこのことだった。



 それがどのように迂闊であるかというと、
「んでゆっき、彼女まだなの? ねえねえ?」
 例えばこうして、にやにや笑いの美奈都にわざとらしく尋ねられるような機会を自ら用意してしまったことが迂闊、だったといえよう。
「ああ、来てないな」
 仏頂面の幸村がぶっきらぼうに答えて寄越す。
「珍しいね、幸村くんとの約束に遅れるなんて」
 ちなみに仁乃は、にやにや笑い半分、心配半分くらいの表情だ‥‥‥幸村の待ち人が来ない間に、問題の新二年女子トリオはまんまと集合を果たしてしまっている。
「いいから早くアルバトロス行ったらどうなんだ」
「その切り返しは負け惜しみっぽいですよ幸村くん?」
「ぐ‥‥‥っ」
 越後屋が差し出した黄金色のかすていらを品定めする悪代官のようなすみれの薄笑いは、令嬢然としたその立ち姿と同じ人物のものとはとても思えない。顔だけ別の人のようですらあった。
「それより、そんなに準備が要るんだったら俺たちも手伝いに行った方がいいか? っていうか、最初からそう言っといてくれれば、トアだって大喜びで」
「そのトアとのことを見ていて思ったのですが」
 すみれが人差し指を立ててみせる。
「‥‥‥幸村くんは、釣った魚に餌をあげないタイプの人でなしさん、ですね」
 幸村の顔が僅かに引き攣り、
「いや、でもあれは、トアが甘えすぎっていうか何ていうかその、ええと、つまりだな」
 次いで、口の中でだけ、ごにょごにょと繰り言を述べているようだった。
「これは何やら思い当たる節がある御様子ですなあ」
「えー、それはひどいよ幸村くーん‥‥‥」
「いいからもうアルバトロス行けよお前ら!」
 挙げ句、負け惜しみを繰り返す事態に追い込まれる。全体的に、今日の幸村は分が悪いらしい。
 これが『あたしたちの未来』を示しているのだとしたら‥‥‥空だけは綺麗だが先行きは暗澹とした未来の可能性に思い至り、幸村はそっと息を吐いた。



「ま、幸村いぢめはこの辺にして‥‥‥待ち合わせは何時にしたの?」
「約束したのは十時ちょうどだったんだけど」
「え、十時?」
 美奈都や仁乃が柳眉を顰める中、
「まあ。時間まで私たちと一緒だったんですね」
 例によって、すみれの反応だけがやや異なっていた。
「なっ、なんという‥‥‥」
 全員が、駅舎の壁に掛けられた大きな時計に目をやった。約束の時刻を長針が通過してから、既に十分くらいが経過している。
「‥‥‥何かあったんじゃないといいけど」
「ゆっきー、指輪で何かわからないの?」
 美奈都が指差したのは幸村の左手だ。
 今でも、幸村の左薬指にはお手製のリングが填まっていて、同じものを同じ場所に填めている『彼女』と魔力的に繋がった状態を自動で維持しようとする。
 歴とした魔力工学の産物であるのだが、見た目はごく一般的な結婚指輪の類と変わらない。
「んー、感覚的にはいつもと特に変わらないから、まあ生きてることはわかるかな」
「そっか、よかった。それならきっと、一生懸命こっちへ向かってるところだよね、今」
 ほっとした顔で、仁乃が胸を撫で下ろした。どうやら本当に心配していたらしい。
「ゆっきーそういうの得意なんだから、通話機能でも仕込んでおけばよかったのに」
「こんな指輪のサイズで通話機能とか、得意だ不得意だのレベル越えてるな」
 通話機能などなくても充分凄いものではあるのだが、とはいえそれは、単に『魔力的に繋がった状態』にするだけのものであり、繋がってどうするのか、の部分には何の機能もない。
 早い話、ふたりのリングには、この状況を打開する能力はない筈であった。
 だが、
「さて。いつまでも油を売っているのも何ですから、私たちはそろそろ静穂さんのところへ向かいましょう」
 まだ手に持っていた手帳をトートバックの中に収めながら、すみれは寄り掛かった壁から背を離す。
「えー? トアっちのこと、心配じゃないの?」
「心配ですよ?」
 何言ってるんですか。当たり前じゃないですか。
 そんな風なことが顔に書いてあった。
「確認ですが幸村くん、まだ待つんですよね?」
「ああ。そうするつもりだ」
 しかし、取り乱したり慌てたりといった様子は、少なくとも今の幸村にはない。‥‥‥ひとつ小さく頷くと、もう用は済んだ、とばかりに身を翻す。
「もし何か起きた場合は連絡をください。近所にいるのですから、私たちもすぐ駆けつけます」
「わかった。何かあったら頼む」
「ええ。ではまた後程、現地で。‥‥‥さ、行きますよ仁乃、美奈都も」
 ひらひらと手を振りながら、新二年女子トリオは幸村の視界から去って行った。




 ところで、左薬指のリングは単に『魔力的に繋がった状態』にするだけのものであり、繋がってどうするのか、の部分には何の機能もない。
 だが、そうして結ばれているのは、ずっと会えないままだった冬の間、時には日米間の距離を越えて反応が感知できたことすらあったような強い絆だ。電車で数駅しか住居が離れていない、しかも平日の日中は同じ学園に通うようになった現在の距離感ならば、もう少し多くの何かが伝わることもある。
 三人の背中を見送った幸村は、おもむろに、見送った背中が向かわなかった方の出入り口へ向かい、
「遅かったな、トア。ちょっと心配したよ」
 曲がり角をひとつ曲がってすぐの、誰もいない廊下に向かって声を掛けた。
『‥‥‥幸村の馬鹿』
 そこに立ち止まる幸村を追い抜こうと足を速めたサラリーマン風の男が、唐突に聞こえた声に、ぎょっとした様子で周囲を見回す。
 だがその通路には、少女どころか、その男と幸村の他には誰ひとり見当たらない。‥‥‥何度も首を捻りつつ、男はさらにペースを上げ、さっさと消えて行った。
「何をむくれてるんだ」
『だって、あたし出て行きそびれて困ってるのに、幸村ひとりだけみんなと楽しそうに』
 その何もない空間からは、相変わらず声だけが聞こえ続けている。
「それはまあ、何というか、プランもよくなかった。まさか、同じ時間に同じ駅で、あいつらも待ち合わせしてたとは思わなくて」
 不意に。
『だってあたし、いちばんに幸村に会いたかった。幸村のいちばんも、できたら、あたしがよかった』
 敷き詰められたタイルの幾何学模様にさらに模様を重ねるように、淡く赤い光が魔法陣を描き出して‥‥‥視えない緞帳が上がっていくように、足元から、緞帳の向こうに隠れた『彼女』が姿を現していく。
『‥‥‥わかってる。いちばん悪いのは待ち合わせに遅刻したあたしだって、頭ではわかってる』
 最初に、お気に入りだという白のスニーカー。
 デニム地のミニスカート。
「だけど、なんか悔しかったの」
 本人の足元に続いて‥‥‥カーディガンの前合わせの隙間に、一体どこで買ってきたのやら、Tシャツに描かれた真っ黒いウサギのような何かの足元が見え始め、
「ごめんなさい。ちょっと遅くなっちゃって」
 光を喪った魔法陣が床の模様に溶けて消えると、何故だか、妙に疲れた様子の待ち人がそこに立っていた。



 取り敢えず、そのまま駅舎から出たところにあるベンチにトアを座らせた。
「まあ、何かあったとかじゃなくてよかったよ」
「あたしの中ではいろいろ起きてたんだけど」
「そうなのか?」
「まずね。今日、一体何着て幸村の前に出たらいいのか、全然わからなかったの。誰かに相談しようにも、こっちで使える携帯はまだ用意してないし」
 欠伸を噛み殺してから、トアは話を続けた。
「誰にも相談できないから自分で考えるしかなくって。そんなにたくさん服持ってるわけじゃないけど、それこそスズノネの制服から、学会発表する時に着ていくようなスーツまで、ああでもないこうでもないって取っ替え引っ替えしてたら、もう、それやってるだけで外が明るくなってて」
「お、おう」
 この辺で既に、話が常軌を逸している。
「もう寝るのは諦めて、服装をどうするか検討を続けたわ。結果、これにしようって決めた服が一揃いあって」
「今日はそれを着てきた、と」
「‥‥‥違うの」
「違うのか?」
 トアはそこで、より深く項垂れた。
「服が決まってほっとしたところで、うっかりうたた寝しちゃったみたいで。寝ないで出掛けるつもりだったから目覚ましも鳴らないし‥‥‥目が醒めて、『目が醒めた』っていう、つまりあたしは寝てたっていう事実にパニクっちゃって。それがちょうど待ち合わせの時間」
 Tシャツの裾を摘んでトアが笑った。
「だからもう、ハンガーに掛けてあった服じゃなく、その辺の床に出したままだった服を触った順に着て、そのままここまで走って来たの。このシャツなんか本当は昨夜の寝間着替わりだもん」
 幸村が思っていたよりも遥かに壮絶な顛末だった。
 まさかとは思うが、女の子は誰でもこういうものなのだろうか。‥‥‥さっきの三人に尋ねてみたい気もしたが、多分、全会一致で否決されるのだろう。
「あの‥‥‥呆れた、でしょ」
「いや呆れはしないけど、でもまあ、んー」
 ぺちん。トアの額を中指で軽く弾く。
「痛っ」
「そうやって悩んでくれるのも嬉しいけど、そんなになるまで悩んだって結局しょうがないだろ。今日はちょっと歩くってわかってるんだから、どっかで切り上げて寝とかないと」
「そうよね。トライアルの時にも同じようなことあったけど、あれは共同生活の中のことだったから、そんな理由で徹夜なんて周囲の人がさせてくれなかった。ひとり暮らしはそういう時にダメね、歯止めが利かなくて」
「そこまで歯止めが利かない人も珍しいような気がするけど‥‥‥まあそれは、これから何度もデートしてればだんだん慣れるんじゃないか」
「むしろ慣れないとダメね。文字通りの意味で、毎回こんなじゃ身体が保たないもの」
 ちよっと困ったようにトアは笑った。
 目の下にうっすらと隈が出ていた。
「トア、一旦帰って寝たらどうだ? 後でみんなと合流するまでにはまだ結構時間あるし」
「そんな。貴重なお休みをそんなことで潰すなんて」
「潰さないために無理したところで、そんな体調でやれることなんてたかが知れてるだろ。その方がいい」
「うう‥‥‥」
 反駁したいのだろうが、幸村の言い分が正しいこともわかっているのだろう。唇を噛んで数秒沈思し、
「わかった。そうする‥‥‥だけど幸村」
 それから、幸村が羽織ったジャケットの裾を引いた。
「あたしの部屋っていうのは、ちょっと」




 この辺りで桜といえばまず箱舟公園だ。
 なので、ここ‥‥‥鈴音ヶ丘よりも三つ向こうの駅から、さらに十分ほど歩いたところにある公園は、交通の便があまりよくないこともあってか、花見のスポットとしてはさほど著名でない。
「‥‥‥あれ?」
 その公園でいちばん大きな染井吉野の木の下にビニールシートを敷いて、三名の男女が転がっている。
「真くんだけっていう話じゃなかったっけ?」
「その筈なんですが、どうして始める前からこんなに死屍累々なのでしょう」
「ああ、幸村くんとトア、わたしたちよりも先にこっちに来てたんだね。でもデートどうしたのかな」
「後でお花見するってわかってるのに、デートだからってお花見に来ないよねえ‥‥‥?」
 それぞれ大きな風呂敷包みを抱えてやってきた女子トリオ及び静穂は、まず、呆気にとられた。
「誰と誰のデートなのか、よくわからない構図ですね」
 その有様をさりげなく写真に撮りつつ、すみれはさっさとビニールシートの空いた場所に腰を降ろす。
「いや、誰と誰の、って」
 幸村の腕枕でトアが眠っていた。
 幸村の太股の上に真の頭があった。
「‥‥‥兄貴とトア、ではないねえ」
「幸村くんと先輩だってないと思うよ!?」
「えー? だって、好きでもない人に膝枕する?」
「え。しないけど、でもそれじゃ、幸村くんが浮気してるっていうこと? に‥‥‥なる、のかなあ?」



「ならないわよ‥‥‥何言ってるの仁乃」
「はい?」
 混乱する仁乃の背後から、第二陣が声を掛けた。
「こんにちは。お早いお着きですね、柚子里先輩」
「まあね。今のところ週末は普通に休みだし」
 第二陣。
 今年入学のトアとは入れ違いで学園を卒業した、鷹取柚子里、志麻莉里のふたりである。
「ところでこれはどういう状況?」
 怪訝そうな顔の莉里が、誰にともなく尋ねた。
「ですから、この中の誰と誰がカップルなのかという」
「クイズじゃなくて。これはどういう状況?」
「さあ‥‥‥」
 先に着いていた四人が一斉に首を捻った。
「起こしていいかどうかもわからないの?」
「はい。いつからこんなことになっていたのか、起きてる人は誰も知りませんし」
「なにそれ‥‥‥」
「いつまで付き合ってるの莉里? 真面目に考える必要ないじゃないそんなこと。それより私たちも座りましょ、ちょっと狭いけど」
 その問題に取り合うつもりは柚子里にはないらしい。手土産の紙袋を風呂敷包みの脇に立て掛けて、ビニールシートのまだ空いているところを軽く叩いて埃を払う。
「それはいいですが柚子里、いつまでこのままにしておくのかという問題も」
 柚子里の傍らに落ち着いた莉里は、改めて中央の三人に目をやる。
「よく寝てるわね、それにしても」
 柚子里の指が伸びて、トアの頬を何度か突いてみるが、そのくらいの刺激では身動ぎもしない。
 うたた寝のような雰囲気ではない。まるで自分の部屋の寝床にいるかのように、本当に寝入っているようだ。
「はい。他はともかく幸村くんが、こんなところで無防備に寝こけてるっていうのが、何だか意外です」
「そうね。この三人しかいなかった間に、何か変なことが起きてなければいいんだけど‥‥‥ふあ」
 言葉の最後には欠伸が付いていた。



 柚子里たちの到着からさらに小一時間が経過した頃、
「‥‥‥なにこれ?」
「‥‥‥何でしょうね」
 ようやくそこに現れた要と真夜の目の前では、花見に集まった他のメンバー全員が、ビニールシート一枚の隙間を奪い合うように、身を寄せ合って眠っていた。
「これ、どうしたんだと思う、真夜?」
「起こしてみましょう。ほらトア、起きてください」
 シートの中央あたりからトアの身体を引っ張り出す。
 何度かぺちぺち頬を叩くと、
「‥‥‥んぅ」
「トア?」
「あー、真夜さん」
 重い目蓋を擦りながら、トアがようやく口を開いた。
「どうしてこんなところで寝ているんですか」
「それはちょっと、いろいろあって‥‥‥あたし寝不足だったので、先にこっちへ来ておいて、皆さんが集まるまで寝ていようかと」
「もう揃っていますよ?」
「へ?」
 ビニールシート上のよくわからない状況が、振り返ったトアの視界に入った。
「あれ? もうこんなに集まって‥‥‥こんなに集まってるのに、なんで誰も起こしてくれなかったの?」
「全員寝てるからでしょ。起こそうとはしたのかも知れないけど」
「えええ‥‥‥」
「まあいいや。ほら起きろみんなー! あたしゃ腹減ってるんだあああああ!」
 墓地の地面からゾンビが蘇るように、寝ていた連中がのそのそと身を起こし始める。




 それぞれが持ってきた荷物を広げるだけで支度が整い、
「それでは、気を取り直しまして」
 ほどなく宴会が始まった。
「さっきのアレは何だったのでしょう」
 例によって周囲に確保した大量の皿からあれこれ摘みながら、真夜は頻りに首を捻っている。
「さあね。‥‥‥まあ、何となーく、そうだったら嫌だなーっていう想像はあるけど」
「想像?」
「ずーっと顔出してないのがいるじゃない、ひとり」
『‥‥‥ぎくっ』
 何もない空間がうっかり呟いた声は、幸か不幸か、誰の耳にも届かなかった。



「おお、これがあの『お花見』! すごい、聞いてたよりも賑やかなんだね!」
 トアは目を輝かせて夜桜や周囲のどんちゃん騒ぎを眺めている。寝不足はすっかり解消されたらしい。
「いや、花見って本来は花を見る部分だけで、宴会はおまけなんだけど」
「でも花見ってどこも大体こんなじゃない? そういう意味ではあんまり間違ってないような」
「まあいいでしょう。今年の桜はもう散ってしまいますが、正式にスズノネに入学した以上、トアには少なくとも来年があるのですし。そういう穏やかなお花見は、幸村くんとふたりきりがお薦めです」
「‥‥‥うん。そうする」
 照れ笑いを浮かべて、トアが頷いた。

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