LOVE IS DEAD.  


  

「ようちえん、じ?」
 やや大雑把な性格のせいもあるのかも知れないが、往々にして、仁村真雪という女は声が大きい。
「と付き合ってるって何だよ? 相川くんってあの、神咲の友達の後輩の、何かやたらと綺麗な顔した奴だろ? お前と同級生で、時々だけど寮にも遊びに来てた」
 例によって今日も、公衆の面前‥‥‥正確には開店間際の翠屋の客席で頓狂な声を上げるのは真雪の方で、
「ちょ、お姉ちゃん、声大きいよ」
 何やらばつの悪そうな顔できょろきょろと周囲に目を配るのは、向かいに座った知佳の役回りだった。
 よく晴れた日曜の午前中。絶好のデート日和だが、幸いにして、ふたりの他にまだ客は入っていない。知佳はほっと胸を撫で下ろす。
「あー悪い悪い。それで知佳、お前今幾つだっけ? 確か二十七だよな?」
 大して悪びれた風でもなく、真雪は話の続きを促した。
「うん。だから、小鳥ちゃんも相川くんも、今年で二十七」
「で、その相川くんのお相手ってのは?」
「幾つの子なのかは聞いてないけど、幼稚園に通ってる、って」
「そんなの、保母さんだって通ってるだろ。幼稚園だったら。そっちの間違いじゃないのか? 常識で考えて」
 そんな風に、取り敢えずは簡単に問題を切り捨ててみせるが、
「違うと思う」
 伏し目がちになる知佳の態度を見る限り、
「そうだったら‥‥‥小鳥ちゃん、あんな風に悩んだりしないんじゃないか、って思う」
 どうやら、問題はそう簡単ではないらしい。



「で、取り敢えず、呼び出してみたワケだが」
「はあ。まあ、呼び出されてはみたものの」
 もしかしたら退魔業の直後だったのかも知れない。
 式服のままで翠屋に現れた薫は、
「伺ったお話の一体どことうちや一灯流が関係するのか、正直、まだよくわからんのですが」
 聞かされた話の半分くらいのところからずっと、何だか困ったような顔をしていた。
「安心してくれ。本当は、言ってる自分でもよくわかってないんだ」
 口では茶化すようなことを言いはするが、どうも真雪は何か考え込んでいる様子だ。
「‥‥‥ふむ」
 からかうつもりでからかっているのかどうかを観察し、違うとわかれば、言葉尻だけを捉えてとやかく苦言を呈するようなことはしない。
 真雪に対する薫の接し方がそのように変わってから、そういえば随分と長い時間が経った。
「ただ何となく、いや本当に何となくなんだけど、神咲は何か、関係あるんじゃないか、って気がするっていうか」
 言っている本人にも多分合点のいっていない、ぶつ切りの言葉を無理に繋げる度に、真雪の眉間に刻まれた皺が深くなる。
「神咲と関係があるということは、つまり何か、霊障の類が疑われる、と?」
「そうは言ってねーよ。いやそうかも知れねーけど。つーか大体お前、二十七にもなったいい大人が幼稚園児に誑かされるって一体どんな霊障だよ」
「ですから、漠然とそれだけ言われても、うちに心当たりはありません‥‥‥ともあれ、それをどうにかしたいと思っているのであれば、まずはその相川くんと、相手の幼稚園児に会ってみるのが先決かと。ここで三人して唸っておっても、わからんことはわからんままです」
 ごく建設的な意見だが、
「いいのかな、そんなことして」
 それまでずっと押し黙っていた知佳は、そんなことをぽつりと呟く。
「確かにわたし、小鳥ちゃんからはそういう相談とかちょっとされてるけど、もしかしたら小鳥ちゃん、誰かにお話聞いて欲しかっただけかも知れないし。そんなに踏み込んじゃっていいのかどうか、わたし、迷ってて」
 ところが、知佳のその言葉を聞くなり、
「決まりだな」
 椅子を引いた真雪は吸いかけの煙草を揉み潰し、
「決まりですね」
 飲み差しの紅茶のカップを干して、薫もその場に立ち上がると、
「ああ、すみませんが仁村さん、一旦寮に戻っていただけませんか? 慌てて来てしまったのでまだこんな格好ですし、霊障の類と決まったわけでないのなら、着替えと、沐浴が無理でもシャワーくらいは」
「何だよ、別にいいじゃねーかそのコスプレ衣装のままでも。折角いちばんサマになる格好してるんだし」
「え? ちょっと、え?」
「こすぷれ、って‥‥‥流石に怒りますよ仁村さん?」
「あはは。あー悪かったよ、そんなに睨むなって恐いから。いいよ、風呂でも何でもゆっくりやってもらって、その後は‥‥‥って」
「だから、あの、お姉ちゃん?」
「まだウダウダやってんのか知佳」
 まるでその席に知佳を置き去りにするように、
「踏み込まないで済ませられる奴が、そんな死にそうな面して『迷ってて』なんて言うかよ。ほれ行くぞ」
 ふたりは揃って、とっとと翠屋を出てしまった。



 そうして翠屋を出た時の知佳の印象は、例えば真雪に言わせれば『ほぼ幽霊』であったそうだが、
「あ、知佳ちゃん‥‥‥と、真雪さんと、神咲先輩」
「こんにちは、小鳥ちゃん‥‥‥って、大丈夫?」
 たった今、玄関の奥からぬぼーっと顔を出した小鳥の幽霊っぷりは、誰がどう見ても、知佳のそれを軽く凌駕するものだった。
「ひ‥‥‥っ!」
 大抵のことには動じない真雪が思わず声を上げてしまったくらいだから相当なものだ。
「かかか神咲、ほら仕事だ仕事! いやーやっぱお前呼んどいてよかった!」
「藪から棒に何ですかまったく。すまないね野々村さん、いつもいつも連れが失礼で」
「おい。『いつもいつも』って何だコラ」
「ああ、いえ。‥‥‥ええと、何だかわかりませんが、立ち話も何ですから、皆さんどうぞ中へ」
「っていうか、何だかちょっと暗いね、お部屋。カーテン閉めてる?」
「ん。今はちょっと、明るいのは、あんまり」
 玄関の隙間から覗く室内の、よく晴れた日曜のお昼前とはとても思えない妙な暗さも相俟ってか‥‥‥知佳を伴ってのそのそと屋内へ向かう小鳥の様子もまた、『訪ねてきた友人たちを自分の家に招き入れる』というよりも『生きながら抜かれた魂を地獄の淵に引きずり込む』の方が表現として適切じゃないか、などと埒もないことを真雪は思う。
「お姉ちゃん、どうしたのー?」
 地獄の奥から知佳の声が聞こえた。
「あんまり片付いてませんが」
 同時に、かちん、と小さな音が聞こえて、薄暗がりに沈んでいた室内が蛍光灯の明かりに照らされる。
「‥‥‥うわ、これは」
 今度は薫が声を上げた。
 野々村小鳥という人物について、薫自身はさほど詳しいわけでもないが、
「あんまり、とかいうレベルの話でもないかも知れんね。こちらの勝手でいきなり押しかけておいて、こういうことを言うのもどうかとは思うが」
「すみません‥‥‥今、片付けますから」
 少なくとも、さざなみ寮で何度か会ったり、人伝に聞いたりしていた野々村小鳥の人物像と、目の当たりにしている荒れ放題の部屋の中で暮らしている女性が同一人物だとは考えづらい。
「捨てたら不味いものもそうはなさそうだし、うちらも少し手伝おうか。知佳ちゃん、取り敢えずカーテン開けて」
「はい」
 言われた知佳が窓際に着くよりも早く、
「あ、カーテンは」
「あああ煩え! こんな不健康な部屋でめそめそ泣いてばっかいるから、そんな幽霊みたいなコトになっちまうんだっ!」
 言いかけた小鳥の言葉を力ずくで遮って、一気に窓際へ歩み寄った真雪がカーテンを開けた。
 今が『よく晴れた日曜のお昼前』であることをようやく思い出しでもしたかのように、薄暗かったマンションの中に陽光が満ちた。
 その眩しさに目を細めながら、所在なさげにそこに立っている小鳥は‥‥‥薫の記憶にある小鳥の姿よりも、二回りは小さい、ように思えた。



 ところで、その部屋の荒れようは、小鳥が元からずぼらだったせいではない。ごく短い間、そういったことが顧みられない期間があっただけなのだろう。
 実際、彼女たちは『捨てるべきものを捨てる』以外の作業をほとんどしていないが、大した作業ではなかったし、それだけで部屋の整理はほぼ終わってしまった。
「消耗しとるね」
「‥‥‥そう、でしょうか」
「さっき仁村さんが『まるで幽霊だ』と言っていた。失礼ながら、率直に言ってうちもそう思う」
 知佳が淹れてきたお茶に口をつけてから、薫はそんな風に話を切り出した。
「知佳ちゃんから話は聞いたよ。その、野々村さんの幼馴染みの相川くんが、幼稚園児とどうだかいう話を」
「はい‥‥‥あの」
 はっきりと隈のできた、力の籠もらない目が、
「神咲先輩、今でもまだ、お祓いのお仕事とかされてるんですよね?」
「ああ。そうだけど」
「それで、わざわざ神咲先輩がいらした、っていうことは‥‥‥やっぱりあの子、春原さんなんですか?」
 それでも薫を睨んでいる。
「春原さん?」
「って誰だ、神咲?」
 真雪にそう問われても、
「は? いえ、ちょっと」
 取り敢えず薫の方には『春原さん』などという名前に心当たりはなかった。
「憶えがない、ですが‥‥‥ふむ」
 が、何か引っ掛かるものがあるのか、難しい顔で薫は考え込んでいる。
「薫さん知ってる筈ですよ、春原七瀬さんって。わたしは学校違いましたけど、みなみちゃんとか薫さんが風芽丘に通ってた時、取り壊される前の校舎に憑いてたって」
 少し拗ねたような声で言い、知佳が薫の腕をつつく。
「‥‥‥ああ! あの自縛霊か!」
「何だ神咲、やっぱり知り合いだったのか?」
 そう言って首を傾げた真雪が今朝、何を思って薫を呼びつけたのかは未だによくわからない。
 まさかこの展開を予期していたからでもあるまい。
「知り合いというか‥‥‥そうですね、うちや那美は、春原さんには嫌われていました」
 だが結論からいえば、薫は確かに関係者であった。
「自縛霊だった春原さんにしてみればうちらは天敵のようなものですから、当たり前といえば当たり前ですが」
 そこに憑いているのは知っていたが、特に差し障りもなさそうで、見逃していた自縛霊。
「ある時を境にいなくなってしまったので、それからは忘れていました」
 当時はまだ残っていた風芽丘の旧校舎に三十年近くもしがみついていた、享年十六歳の少女、の自縛霊。
「いなくなったので‥‥‥それで終わり、だと」
 終わってなどいなかったのか。薫は小さく唇を噛む。
「まあそこまではいいとして、その自縛霊がまた何で、今頃になって幼稚園児なんだ?」
 『自縛霊の話である』という事実そのものについては特に動揺する風でもなく、平然と真雪は話を進める。
「この間、いきなり真くんの前に現れて、『ななせ』って書かれた鞄を見せたそうです。あの七瀬が帰ってきたって電話してきた時、真くんすごく嬉しそうで‥‥‥誘拐犯と間違えられてお巡りさんに追い回されたって、そんな話してるのに、真くんすごく、すごく嬉しそうで」
「嬉しそうってお前、それまるっきり変質者扱い」
「でも、わかるの! わかっちゃうの! 変質者とかどうでもいいって、春原さん帰ってきて嬉しいんだって!」
 突然、
「だってあの時、真くん連れて行かれちゃいそうで! これ以上一緒にいたら本当に連れて行かれちゃうって、だから絶対引き留めてってさくらちゃんに言われたけど、わたし、わたしあの時、それでも学園へ行くっていう真くんを止められなかった!」
 立ち上がった小鳥はあらん限りの大声を上げるが、
「さくらちゃんって、あの綺堂さくら?」
「‥‥‥あ‥‥‥はい」
 しかし、それでも落ち着いている薫の様子に気づいてか、勢いはすぐに萎んでしまう。
「ふむ。突然いなくなったとは思っていたが、あれは、綺堂が春原さんを鎮めたから、だったのか」
「鎮めたというか‥‥‥そういうつもりで行ったけど、最後には、春原さんが自分で還ったって‥‥‥真くんはそれでも諦めなかったけど、それじゃ真くんが死んじゃうからって‥‥‥結局は、春原さんが身を引くようなかたちになったって」
「ちょっと待ってくれ。さっきから、『真くんはそれでも諦めなかった』とか『春原さんが身を引くような』とか言ってるけど、その春原さんは、それより何十年も前から幽霊だったんだろ? それって、一体どういう」
「おかしいですか?」
 混ぜ返した真雪に、薫はやや険のある眼差しを向け、
「過去に幾らも例のあることです。ほんの遊びで人を弄んだ、お互い本気で添い遂げようとした、経緯は様々でも‥‥‥神咲一灯流の使命は生きている人を護ることですから、彼ら自身がどう考えていようと、また人の側にどう想われていようと、それが『霊障』である限り、うちらのするべきことは何も変わらんのですが」
 次には、少し俯いて、
「面白半分で人に仇なす者はともかく、想いの不滅を信じる者にもう一度引導を渡すこと、それも『お役目』と割り切ることには、本音をいえば、うちらにだって、忸怩たるものがないではありません」
 よほど聴こえて欲しくないのか、
「うちはあの時、あの自縛霊を見逃しました。人をひとり連れて行こうとした、そのことを知らされていなかったから。もちろん、知っていたなら放っておけはしなかったでしょう、でもあの時は知らなかった‥‥‥それなら、うちだって、見逃したいことだって‥‥‥っ」
 ごく小さな声で呟く。
「そっか。そうだな。‥‥‥辛いな、一灯流やるのも」
 珍しく神妙な顔の真雪が、今にも泣き出しそうな薫の背中をぽんぽんと叩いた。



「‥‥‥ふむ。ま、話は大体わかった」
 一体どこで調達したのやら、真雪は煙草代わりの禁煙パイプを咥え直す。
「ここで事情をちょこっと聞いたら、後はその、相川くんと幼稚園児を見に行こうと思ってたけど、どうもこりゃ、そんな必要なさそうだな」
「ええ。霊障の類でないかどうかは一応確認したいところですが、その相川くんの喜びようから察するに、まず間違いなく、ただの幼稚園児でしょうね」
 難しい顔で腕組みしながら薫が頷く。
「え、必要なさそうって?」
 知佳は首を傾げている。
「だから、その幼稚園児は多分本当にホンモノなんだろうよ。自分が幽霊のままじゃ愛しの相川くんと添い遂げられないからって、年の差だの何だの全部無視して無理矢理生まれ変わってきた、出会った時には自縛霊だった春原七瀬‥‥‥まあ、マンガみたいな話だけどな」
「え、でも、そんなことって」
「そうは言うけどな知佳。こう言っちゃ悪いけど、お前も神咲もマンガっぽさじゃその幼稚園児と大差ないぞ」
「‥‥‥うー」
 マンガっぽさじゃ大差ないふたりは顔を見合わせ、
「失礼な」
 それから、ふたりして真雪の顔を軽く睨んだ。
「幼稚園児の方はもう大体わかったんだから、問題はこっちだろ。あー、野々村さん、つったっけ? ‥‥‥だから何つー顔してんだおい」
 玄関先に出てきた時の小鳥の印象が『幽霊』なら、今そこに座っている小鳥の顔は、最早『死体』といっても過言ではなかった。
「だって」
 声にならない声が呟く。
「あれが春原さんだったら、真くん、今度は‥‥‥今度こそ本当に、戻って来れないところに」
「まあそうだろうな。お前さんにとっては多分そうだ」
 血の気の引いた小鳥の頬に両手を添えて、
「それは恐らく、死んじまうとかそういう意味のことじゃないだろう。だけど確かに、お前さんの真くんはもう、お前さんには戻って来ない」
 真雪はその顔をぐっと近づける。
「ちょ、仁村さん、いきなりそんな言い方せんでも」
「煩え。ちょっと黙っとけ」
「痛っ!」
 横から口を挟もうとした薫の頬に軽く肘を当ててから、改めて、真雪は小鳥の瞳を覗き込んだ。
「なあ。その、お前さんの真くんのお相手が、幼稚園児じゃなくて、保母さんとかその辺の大人だったら、お前さんの胸は本当に痛まなかったのか?」
 ごく小さく、小鳥は頷く。
「仮に、その真くんのお相手が、ここにいる知佳だったとしたら、お前さん、泣かずにいられたと思うか?」
 ほんの僅かに、小鳥は頷く。
「保母さんだろうが知佳だろうが、行っちまったら真くんが戻って来ないのは同じなのにか?」
「え‥‥‥」
「だってそうだろ。そりゃ十年前は自縛霊だったかも知れないけど、今度の春原七瀬は取り敢えずただの幼稚園児だ。別に今更真くんを獲って喰いやしない。なら同じだろうさ、保母さんでも知佳でも」
「違う」
 微かに‥‥‥両頬に手を添えていた真雪にしかわからないくらい微かに、小鳥は首を横に振った。
「どこが違う? 幼稚園児じゃないことか?」
 意地の悪そうな表情を作って、真雪は再び、小鳥に顔を近づける。
「‥‥‥そうじゃなくて」
「そうじゃなくて?」
「そうじゃなくて、春原さんは」
「ん」
「春原さんは‥‥‥とにかく、ダメなの」
 そう呟いて、小鳥は真雪から目を逸らした。



「教えてやろうか。どこが違うのか、なんでダメなのか」
 ひとつ息を吐いてから、
「‥‥‥っ」
「この際だ。はっきり引導渡されねーと納得できねーだろうから、聞きたくなくても言ってやる」
 真雪は、続きを口にした。
「まず。‥‥‥好きだったろ、真くんのこと。一緒になれるアテもない相手を十年ずっと待ってられる奴に、他の理由なんてある筈ない。誰がどう考えたって、それはもう幼馴染みが何とかってレベルの話じゃない」
 とても頷きたくなさそうに。
「認めちまいな、恋だったって」
 ほんの僅かに、小鳥は頷く。
「ん。よし、よく頑張った」
 頷いただけの小鳥の頭を真雪はそっと撫でる。



「でだ。その恋は、十年前に終わってる。春原七瀬と真くんがデキちまった時に。だけどある日、春原七瀬はいなくなって、お前さんの真くんだけがここに残った。それを、ロスタイムに逆転の望みが繋がったようなことだ、とお前さんは思った」
「見てきたようなことを言いますね」
 感心顔の薫がぽつりと感想を口にするが、真雪は取り合わず、じっと小鳥だけを見つめている。
「真くんが春原七瀬に想いを残したままでいることは知ってる。でもまあ、普通に考えて、この経緯で春原七瀬が戻ってくるって可能性はない。それなら、生きてる限りずーっと続いてくロスタイムのどっかで真くんが春原七瀬を諦めてくれれば、その時は、真くんはきっと自分に振り向いてくれる」
 結果的に十年続いたロスタイムを、小鳥は小鳥なりに、必死に戦ってきた。
 そうしてきたつもりだった。
「でも、本当は気づいてたよな。亡くした恋人を十年待ち続けることができちまった真くんになら、もしかしたら五十年でも百年でも、それこそ一生でも待ち続けられるんじゃないか、ってことにも」
 だが、真一郎がいつまでも七瀬を諦めないとしたら、小鳥にとっての今という時間は『逆転の可能性を繋ぐロスタイム』などではなかったことになる。
 それはただの、『死刑の執行猶予期間』だ。
「そして、起きる筈のないことが起きた」
 生まれ変わるような無茶な真似までして、七瀬は真一郎のもとに戻ってきた。そんな風にして、その始まりと同じくらい唐突に‥‥‥終わらない筈のロスタイムは、ある日突然、終わってしまった。
「お前さんは、二回負けてるワケじゃない。十年前、春原七瀬について行こうとした真くんを引き留められなかった時に、お前さんの恋は春原七瀬に殺されて、それっきりだ‥‥‥だから、春原七瀬は特別だった。そいつでさえなければ、十年前のあの時、振り向いてもらえなかった悲しい自分から目を逸らしていられるから。忘れたふりも、他の誰かを笑って祝福するふりもできるから」
 瞼の端から、雫がつっと流れる。
「もういい。もう眠らせてやれ。お前さんの恋にはな‥‥‥最初っから、ロスタイムなんてなかったんだ」
 あとは、しんと静まりかえった部屋の中に、小鳥の嗚咽だけが静かに響き続けた。



「禁煙パイプはどうしたんですか」
 小鳥を知佳に任せて、真雪はベランダに出た。
「他人ん家じゃ煙草も好きに吸えねーからなー」
 居たたまれないのか、その真雪を追ってベランダに出た薫の目の前で、真雪はうまそうに煙草をふかす。
「野々村さん、あれで大丈夫でしょうか」
「知んない」
「は? ‥‥‥いや、知んない、ってそんな」
 薫は目を丸くした。
「目はあると思うけどな。引導渡して欲しかったのは結局本人だったワケだし。そうでもなけりゃ、誰があんな面倒な役引き受けるか」
「‥‥‥そう、なんですか?」
「知佳が言うには、その相川くん以外にも幼馴染みとか、風芽丘で一緒だった奴らとか、野々村さんって子には知佳より仲のいい奴もいっぱいいるんだと。それなのに、わざわざ知佳を選んでそんな相談してきたのは‥‥‥ま、『あたしに出張って欲しかったから』じゃないだろ。自分で言うのも何だけどな」
 そう言って、真雪は意地の悪い笑みを浮かべる。



「お姉ちゃん」
 そのうち、知佳がベランダに出てきた。
「ん? なんだ知佳、ついててやんなくていいのか?」
 それまで咥えていた煙草を携帯灰皿に押し込みながら、真雪が窓の方へ向き直ると、
「一緒にいるよ」
 そこには確かに、知佳と一緒に小鳥が立っていて、
「あの、真雪さん、神咲先輩も、わざわざありがとうございました」
 そう言って小鳥はぺこりと頭を下げた。
「もう大丈夫か?」
「んー。それはわかりませんけど‥‥‥でも、わたし、これから春原さんに会ってみようと思うんです。還ってきてから一度も、っていうか、本当は幽霊だった時にも、ちゃんと会ったことなくって」
 話す声にはまだ疲れた感じが残っているが、表情は大分明るい。
 少なくとも、今の小鳥は『幽霊』のようではなかった。
「‥‥‥そっか。よし、それじゃ今度こそ、みんなでその相川くんと幼稚園児のツラ拝みに行ってやろうぜ」
 もう一度、小鳥の頭をくしゃりと撫でてから、真雪はポケットから車のキーを引っ張り出す。

[MENU]
[CANDYFORCE]
[Hajime ORIKURA]
[▽ARCHIVES]
 / chain
 / ANGEL TYPE
 / FORTUNE ARTERIAL
 / Kanon
 / PALETTE
 / Princess Holiday
 / PRINCESS WALTZ
 / Romancing SaGa
 / To Heart
 / True Love Story 2
 / With You
 / 穢翼のユースティア
 / あまつみそらに!
 / カミカゼ☆エクスプローラー!
 / 久遠の絆 再臨詔
 / 高機動幻想
ガンパレード・マーチ
 / 此花トゥルーリポート
 / スズノネセブン!
 / 月は東に日は西に
 / ▽とらいあんぐるハート
  / ▼LOVE IS DEAD.
 / ねがい
 / ネコっかわいがり!
 / バイナリィ・ポット
 / 果てしなく青い、
この空の下で…。
 / 御神楽少女探偵団
 / 夜明け前より瑠璃色な
 / ワンコとリリー
 / その他
 / 一次創作
 / いただきもの
[BBS]
[LINK]
[MAIL]

[back.]

Petit SS Ring 
[<]
[<<]
|[?][!]| [>]
[>>]

二次創作データベース

   ARCHIVES / とらいあんぐるハート / LOVE IS DEAD. || top. || back.  
  [CANDYFORCEWWW] Hajime ORIKURA + "CANDYFORCE" presents.